2013/5/15 - DIR EN GREY@新木場STUDIO COAST


 DIR EN GREY ――― こんなに恐ろしく、こんなにワクワクするバンドが他にあるだろうか。

 2013年5月15日、新木場スタジオコースト。午後7時の開演予定時刻を10分ほど過ぎ、観客の期待が最高潮に達した時を見計らうかのように場内が暗闇に包まれると、バックドロップとステージ上方に吊るされた三枚の半透明の板に出現したのは、骨。大量の人間の骨だ。その骨が舞い上がり、乱れ飛び、爆音で狂骨が鳴り始めると、ステージ袖からメンバーが登場する。この時点で、すでに最高潮に達していたはずの客席の熱気は、あっという間に沸点を突破していた。

 しかしその熱気を爆発させず、さらに凝縮させ濃縮させるためにメンバーが選んだ一曲目は、「かすみ」。2003年のリリースから10年を経て新たに再構築されたこの楽曲は、原曲の空気を失うことなく、今のDIR EN GREYでしか出せない重く烈しい音に見事に昇華されていた。”溶けて無くなる”という歌詞のみをバックドロップに映し出したのは、人間が溶けて無くなると言いたかったからなのか、それともこの国が、だろうか。

 「Unraveling」でバックドロップに投影されたのは、ネグレクトされた少女。人によっては不快感すら覚えるこの映像(ミュージックビデオにもなっているが)を改めてここで見せるのは、一見幸福に満ちていそうなこの国の真実から目を逸らすなという彼らからのメッセージであろう。

 通称「INWARD SCREAM」と呼ばれている京のヴォイス・ソロ・コーナーを挟んで炸裂したのは、「かすみ」と同じく再構築された「Unknown.Despair.a Lost」。ヴィジュアル系だった頃の彼らが産み出した原曲も高いクオリティを持った佳曲であったが、異なる形で我々の前に姿を現したこの曲は、「Dir en grey」が「DIR EN GREY」になったことを言葉でなく音で示した結晶の一つと言い切っていいだろう。

 ここからは「輪郭」でミュージックビデオが投影されたりした以外は、演出と言えるような演出もなく、淡々と、しかし重厚で激烈なパフォーマンスのみがステージ上を飾る。もはや彼らにとっては、凡百のライヴで使われる花火も特効も邪魔者以外の何物でもない。DIR EN GREYのステージは彼らのパフォーマンスこそが最高の演出であり、照明や映像はそれをより高めるものでなくてはならず、特効頼みの盛り上げなどもってのほかだからだ。

 そして二度目の「INWARD SCREAM」。声だけでなくマイクを床に叩き付けて感情の迸りを表現する京。ここからしばらくの間がこのライヴの真骨頂であり、真の姿であると思う。
 「DIABOLOS」のイントロのドラムに呼応するかのようにステージ上方から3枚のプレートが降り、メンバーの前に透明な壁が出来ると同時に、空いたステージ上方には様々なフェイスペインティングを施した男の巨大な目が何枚も高速で切り替わっていく。あたかも絶壁に刻まれた神像の前で歌と舞を捧げる人間のように、全身全霊で魂を震わせるメンバー。

 そして京の「人間を、辞めろ!」という叫びは、まるで神像が発した神の声であった。

 曲は変わるが、この荘厳かつ狂気に満ちた会場の空気は変わらない。

 「蜜と唾」では、京が3つの小型カメラの間に立ち、その表情を3つのプレートに投影しながら狂った単語を叫び続ける。小型カメラに映るその表情は、決して恰好いいものではない。アングルも照明も滅茶苦茶だからだ。しかし京にとって、もはや恰好いいか恰好悪いかなど、便所の落書きよりもどうでもいいことなのだ。すなわち、京は京であることに意味があり、外見などなんの意味もない―――そういうことなのだろう。

 そんなことを考えていると、最初は一単語一単語しっかりバックドロップに映し出されていた歌詞が徐々に崩れ出す。

 まさに人間を辞めたことを表しているのか。狂気を帯びた京のシャウトは、人間からひねり出されるそれではなく、神の怒りか、あるいは悪魔の唸り声か。投影された「人間」というワードがボロボロに崩れ、神か悪魔か、少なくともニンゲンではない何かになった京を残して3枚のプレートは上昇していった。

 普段のライヴならば休憩と空気を換える役目を果たす3度目の「INWARD SCREAM」も、今日はそうはならなかった。

 黒い布を被り、和楽器をフィーチャーしたSEの中で不気味なパフォーマンスを繰り広げる京。メタルと和楽器―――とても恰好いいとは思えない組み合わせも、DIR EN GREYだからこそ唯一無二の空気感を出せるのだろう。

 続いて放たれたのは「鴉」―――カラスとは日本神話における神の使い。先ほど黒い布を被った京がカラスだとすれば、「DIABOLOS」で人間を辞めた京が「蜜と唾」で神となり、再び神の使いとして人間の世界に戻って来た、そう私は解釈したい。

 再びニンゲンに戻った京は、耳に手を当て、首を振る。聞こえない!ということだ。今回再構築された楽曲の中でも最も古い「業」から始まる怒涛の終盤戦は、こうして始まった。

 ここからはもはや語る必要もないだろう。また、語る言葉もない。混沌と秩序が同居するフロアを見事に統率するDIR EN GREYの姿に、一介のロックバンドではない、やはり私は神となった人をそこに見た。

 個々の楽曲ごとの話題を記せば書けないことはない。本編ラストの「冷血なりせば」でついにフロントに出てオーディエンスを煽る楽器隊や、アンコール一発目の「GARBAGE」で壮絶なツーバスを聴かせるShinya、1曲ごとにフロアを煽り立てる京、ステージ上を狂ったように暴れまわるToshiya。「激しさと、その胸の中で絡み付いた灼熱の闇」ではメンバー一人ひとりがバックドロップに投影され、フロアの熱狂をさらに煽った、等々―――。

 しかし、本編終盤からアンコールにかけてのライヴ・バンドとしての本領を発揮したDIR EN GREYのステージは、言葉で語ることはもはや不可能なのだ。

 よく、彼らは「唯一無二のバンド」と表現される。

 なぜ唯一無二なのか。

 過激であることを承知であえて言いたい。

 「神」だからだ、と。

 キリスト教を始め、世界の多くの宗教は唯一神教である。DIR EN GREYが宗教だと言ってしまっては非常に語弊があるが、DIR EN GREYの唯一性の理由を彼らのステージングから導くには、これしか説明がつかないのだ。

 DIR EN GREYのニューアルバム「THE UNRAVELING」のリリースにあたって公式サイトに掲載されたテキストには、次のように書かれていた。

紐解かれ、塗り重ねられた時代の先に見つけた<シンカ>。

(略)時代を経ても揺るがない核と、独自の世界観を貫くDIR EN GREYの<進化/深化/真価>を感じる作品になっております。

 私は、この<シンカ>のトリプル・ミーニングに、あえてもう一つ付け加えたい。<神化>と―――。

 セットリスト

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