こんばんわ、中の人です。
おととい、
昨日とRaphaelのDVDを観てライブレポっていうかDVDレポ的な記事を書いてましたが、それ以外のこともちょっとだけ書こうと思います。
Raphaelに関する思い出話が多くなりますので、Raphaelに興味ない人はたぶん読んでも面白くないです。すいません。
なんでそんな事を書こうと思ったかというと、2日目の
「49」で
「ヴィジュアル系なんてくだらないって言ってバカにするやつらが世の中ごまんといるけどな、違うだろ!これが俺たちの青春だろ!」
とYUKIが煽っていたからです。
そうなんですよ、青春なんですよ。
僕の場合、Raphaelを知ったのが2000年の前半で、初めてライブに行ったのが8月の「癒し小屋」ツアーでした。
これ、赤坂BLITZとZeppTokyoの2公演行ったんですが、もともとはどっちか1公演しか行く予定なかったんです。
赤ブリを先に観てZeppも行きたくなったのか、直前でZeppだけじゃ足りないと思って赤坂にもぶっつけで行ったのかちょっと覚えていませんが、とにかく2回観たくなったんですよね。
で、大満足して、次のツアーも絶対行こうと思っていたところで華月のニュース。
今でも覚えてますけど、バイト終わって自転車で帰る途中にメールで教えてもらったんですよ。
もともとXが好きだったので、hideの件を経験していたこともあり、メンバーが死んでしまうことにそれほど衝撃は受けなかったように思いますが、やはりそのあとの渋公のライブはきつかったですね。
もうこの日は、会場中大泣きだったような気がします。僕は2日あったうちの初日しか行っていませんが、2日目行った友達によると、暴れ曲連発の凶悪セトリだったようです。って昨日も書きましたけど。
そんなわけで、僕がRaphaelとリアルタイムで触れていた期間は1年もない、たぶん半年そこそこでした。
でも曲の良さ、心に残る度合いは期間とは関係ないですよね。むしろ短かっただけに強烈に残っているのかもしれません。
実は、まだ読んでいなかったのですが、今回DVDを観てやっぱり読みたくなったので「天使論 序説」と「天使論 完結編」をまとめて買って一気に読みました。(完結編は去年ちょっとだけ立ち読みしてましたが)
当事者であるメンバーにはいろんな、本当にいろんな想いがあったんだと、ここで初めて知りました。
それに対してどうこう言うことはないし、単にRaphaelの楽曲が好きなだけの僕には、Raphaelが復活したという事実だけで背景がどうであれもう十分だったんですが、活動末期は文字通り末期だったんだなと、今更腑に落ちました。
何が、って話ですが、「秋風の狂詩曲」でテレビ出演したときの映像がYoutubeにあるので観ると一目瞭然です。
このメンバー、どう見ても険悪ですよね。これ、本を読むまではわざとクールを装っているのかとも思っていましたが、当時のことを知ってしまうともう別の見方などできません。
メンバーは司会者の質問に答えるだけで、メンバー同士の会話がまったくないから司会者も絡みにくそうだし、これは見ていてきついものがあります。
「天使論 完結編」でYUKIが言っていたとおり、華月が生きていてもあのRaphaelは遠からず解散していたでしょうね。
もし普通に(っていうのも変ですが)解散していたら、それはそれで華月が生きる気力を持てていたかどうか、今となってはわかりません。でも生きてさえいれば楽曲は生み出せるし、再結成だってあり得たわけですから、その点は惜しむことしかできません。
何が言いたいかというと、こんな素晴らしいRaphaelの楽曲をもう生で聴くことができないというのはどう考えてももったいないということです。
とはいえ、Raphaelを本格的に再開させても新曲ができない以上あまり意味がありませんし、riceとしてRaphaelの楽曲を歌うというのもいろいろ批判があるでしょう。現実的な方法を見つけるのはなかなか難しいかもしれません。
でも、できることなら、Raphaelの楽曲は「歌い伝え続け」ていって欲しいです。